忘れない目

目は口ほどにモノを言う

多くを語らない人も
目の奥の輝きによって
人びとを惹きつけることもある

目の輝きはココロを映す鏡

無垢な赤ん坊の目は
透き通って淀みがない

どんな仏頂面をしているひとでも
その姿を見ると
自然に表情も緩むであろう


しかし
時を重ねていくと
世間の淀みが見えてくる
その度に目の輝きが失われていく

いまに生きる人々は
忙しいのあまり
ココロを失っている

例えば
階段から滑り落ちるひとがいたとしよう

ひと昔まえであれば
多くのひとが足を止めて
心配してくれた風潮があった

しかし

いまは
多くのひとは何事もなく過ぎ去る
そして
迷惑そうな視線を投げかける
その目はとても冷たい

淀みきってしまった目からは
本来持ち合わせている
優しいや包容力が失われていく


嘆かわしいがそれがいまの現実


みなさんも経験があるだろう

自分がピンチに陥ったとき
世間の目はとても冷たい

僕もピンチのときに
投げ掛けられた数々の冷たい目
決して忘れない

でも
それが僕の原動力

逆境は
僕にチカラを与えてくれる

逆境は
僕に本当に大切なものを教えてくる

これからの時代
自分で山を乗り越えるチカラを
持たなければならない

乗り越えたとき
自信を持って前に進もうではないか


こうして得たチカラを
余裕に変え

優しい目で世間を見渡してみよう

もし
困っている人に出会ったら
優しく手をとってあげたい

誰が見てるか見てないかではない

自分の眼(まなこ)が澄みきっていれば
自然にできるはずだ

そんなことを自然にできるって
すごい爽やかで

なんてことのない行動が
この世界をまわりまわって
誰かの笑顔を作ってゆく

さあ
心を磨こう

そうすれば

淀んで見えていなかった
明るい輝きに
出会えるだろう

同じ景色

数十年ぶりの11月に
都心に舞い降りる雪

小さな頃なら
平日の朝に雪が降っていると
とても興奮しながら
外に駆け出していたことだろう

同じ景色を見ていても
それぞれ違うように映っている


いま、目の前にある景色は
単純に色の濃淡が現れているだけでなく
空気の匂い
感情の揺れ動きとともに
脳内で変化を繰り返している


よく晴れた雲ひとつない青空の下にいても
晴れ晴れとした笑顔のひともいれば
どこか憂うつな顔をしている人もいる


ひとは歳を重ねるごとに
これまでの積み重ねによって得た
常識や指標のようなものが
脳内にフィルタをかけている
それによって
感情がコントロールされている


しかし
そのフィルタが邪魔になり
純粋に楽しめなくなってきている


僕はそんなときには
これまで見たこともない景色をみたり
これまでにやったことがないことをやる

アハ体験をすることで
脳内をアドレナリンで満たし
新たな刺激を与える

初めて買った車で
諸国を走り回ったときの
あの楽しさと興奮はいまでも忘れない

慎重と臆病

僕はバリバリの保守的な家庭に育った

何をするにも
リスクばかり心配する親だった

最初のひと言は「止めなさい」だった

僕は精神的な基礎が育つ
小学生、中学生のときに
そんなマインドで生活してきたので
典型的な坊ちゃん臭のする
周りから見ると面白みがない
線の細い少年だったであろう

もしかすると
今もその影響が残っているのかもしれない

リスクを追って果敢にチャレンジするひとは
目がキラキラと光輝いている

そんな姿をただただ見ている臆病な僕


リスクをおいすぎて
苦戦を強いられてるひとは
苦渋の表情に満ちている

そんな姿を
安定したところから見ている慎重な僕


慎重と臆病

僕はこの両輪に支えられ
今の生活があると思っている


確かに
若い頃に無鉄砲に生きたひとは
人間的な魅力もあり、面白い


しかし
その代償を追う可能性が高い時代に
どうやって生きていくか

そう考えたとき
臆病くらいに慎重な考えが
結果的に自分を守ってくれている

こうして得た安定感は
ココロの余裕に繋がる

余裕こそ
次の攻め時において原動力となる

籠城するだけの人生はつまらない


ときには野戦もしてみたいものだ

先が見えないこの時代だからこそ
打って出るチャンスを掴みとりたい


いかに自陣のチカラを失わずに勝つか

戦国の世に想いを馳せる

守るべきモノ

皆さんには
身を呈して守りたいものはあるだろうか

いろんなひとはこう言う

人生はたくさんの荷を背負い
山道を登るがごとく
頂上を目指してゆっくりと前に進む
焦るべからず

ひとは何も持たずに産まれ
たくさんの荷を得る

つまり
人生の長い道中で
守るべきものを手にするのだ


欲しくて欲しくて
どうしようもない衝動から
攻めの姿勢で手にするもの

縁という不思議な糸で
つながっているもの

さまざまなものがあるが
歳を重ねるたびに
年月を経過するたびに
どんどん増えていく


しかし
ここで注意しなければならない

たいせつなものを得ると言うことは
それらを守るためのチカラがなければならない

己の力量を見誤り
過剰な荷を背負い
がんじがらめになってはいないだろうか

もしそうであれば
生活を見直し
ダウンサイジングしてみよう

つまり
荷を下ろしてサイズをおとすことで
これまでの重圧から解放されよう


これからの日本は縮小の一途を辿る

そんなご時世に

昭和の常識に縛られ
確たる道筋も描かずに
巨額なローンを背負うことは

自らに苦行を課している諸行と言わざるを得ない


大局を見て判断するチカラ

それを身に付けるには
仕事などに忙殺されるのではなく
さまざまなところにアンテナを
張り巡らせる活力が必要だ


たいせつにしよう

一緒にいると活力が満ちてくるひとを


たいせつにしよう

がむしゃらに頑張って手に入れたモノを

今の自分を励ます者

それぞれの道を歩いてきた

 

途中で立ち止まったり

振り返ったり

後戻りしたこともあった

 

しかし

諦めることなく

常に前を向いて歩き

今ここに立っている

 

いろんなひとに支えられて

今ここに立っている

 

食べたいときに食べたいものが食べられる

遊びに行きたいところへ自由に行ける

休みたいときはゆっくり休める環境がある

 

そして

大病しない丈夫なカラダがある

 

今の環境に感謝したい

 

いろんなひとに支えられて

ここまで来れた

 

だけど

今の自分を支えてくれる

一番のサポーターは

過去の自分だ

 

 

草野球に明け暮れていた小学生の自分

 

荒れた学校で友達がいなかった中学生の自分

 

いろんなことがすごく楽しかった高校生の自分

 

将来を見据えて進路を考え出した高校3年生の自分

 

実験や演習に追われながらも楽しかった大学生の自分

 

自分の性質にあった良い会社を探し当てた就活生の自分

 

右も左もわからず暗中模索だった新入社員の自分

 

いろんな壁にぶち当たって悩み続けた自分

 

ペースを掴み始めて仕事に没頭した自分

 

車を買って諸国漫遊していた自分

 

彼らはいつも心のどこかで

今の自分を支えてくれている

 

そして

 

一生懸命何かをやっている自分は

きっと

未来の自分の支えになるだろう

 

信じよう、自分のチカラを

ながら作業

歩きスマホがスタンダードになった

僕もこうして
電車に乗りながら
スマホをいじくっている

ひとつのことに集中しなきゃ
効率が上がらないという考えもあるが

ひとの集中力はせいぜい90分程度が限界
それ以上続けても効率があがらない

大学のひとコマ 90分は
集中力の観点から設定されている
そんな説を聞いたことがある

そこで
ひとはひとつのことに能力を集中するより
いくつかに分散させることで
集中力を持続させようとする

ひとの脳は
電流が流れる範囲がある程度決まっている

それぞれの作業によって
使われる領域が違ってくるのだが
勉強などの論理的な考察は
左脳が使われることが多いようだ

だから
脳内の電流に偏りを無くすために
音楽を聞くようになるのかもしれない


何事もバランスが大事だ

どこかにチカラが集中したり
どこかがあまりにも負担がかかったりする
アンバランスな状態では
やがて限界を迎えてしまうだろう


全身のバランスを保ちながらも
急な動きにも対応できるような
そんなスタンスてわ生きていきたいものだ

馬にまたがり
悠々と草原を走る貴族のように

活き活きと

最近は足を運んでいないが
新鮮な魚を目の前で捌いてくれる
お気に入りの魚屋さんがある

ハマっていたときは
週3くらいで通っていたものだ

ワクワクしながら店に入り
両手いっぱいに魚を持って店を出る


ライトに照らされ
キラキラと光る活きの良い魚を見ていると
チカラがみなぎってくるようだ

みずみずしく
ふっくらとしたラインはじつに美しい

人も同じだ


活き活きとしている人は
周りにチカラを与える

そんな人とたくさん出会いたい

語りあってみたいものだ

あんこう、サバ、タラ、ブリ
旨い鍋をつつきながら

ハラスメント

いろんなところで
なんとかハラスメントが話題になっている

それを防止するために
企業は長い時間をかけているが
研修に使われているビデオが面白い

サラリーマンがよくやりそうな
飲み会での会話が例であげられて
さぞ、高度なテクニックが
レクチャーされるのかと思いきや

それは受け手次第です

結局何をしたいのかわからない研修だった


さあ、その後の飲み会ではどうだったか


中年社員が若手社員たちを
無理やり、二次会に引きずりこもうとし
それに対して、若手が
ハラスメント研修でやりましたよね

と微かな抵抗を見せるが
その後に
中年社員が衝撃の一言を発する

そんなの関係ねぇ と

顔が引きつる若手社員

それを横目に
僕はドロンしていった


だいたい
チカラやオーラがある人物には
黙っていても人は付いて来るものだ

僕もそんなひとになりたい

健康とは

健やかに日々を過ごす

そんな毎日を期待して
今日もそれぞれの持ち場に向かっている

今日のニュースで面白い記事を見た
日本WHOのホームページに記載されている
健康の定義が話題になっていた

健康とは
肉体的、精神的、社会的に
すべて満たされた状態だ

このように書いてある
というか、本家のWHOの表記を
そのまま和訳しただけのものだ

果たして
自分は健康だと胸を張って言えるひとは
今の世の中にどれくらいいるのだろう

一見、幸せそうに歩いている
昭和時代の象徴のような家族でも
それぞれに不安や不満を抱えながら
生きているのかもしれない


無病息災があたり前だった
そんな虫の良い時代は遠くに過ぎ去った

それからは一病息災
何かしらのビハインドを乗り越えながら
したたかに生きていかなければならない

環境とチカラ

寒さにまだカラダが慣れていない
冬仕様のカラダに切り替わっていない
そんな人たちにとって
この数日の寒さは堪えるだろう

だけど、僕はちょっと違う

長きに渡り
東京郊外の都市の冬を体験してきたので
都心の寒さはあまり辛くないのだ

これまでは冬の早朝は
たくさん着込んで外に出て
ブルブルふるえながら自転車のペダルをこぐ

そんな朝を繰り返し経験すると
自然と寒さに対する適用力がついてくる

まさに
逆境が造りだした自然に適用するチカラだ


これはどんなことでも当てはまる

実家暮らしが長いひとは
炊事、洗濯、諸々をしない
快適な生活に慣れてしまっている

すると
一人暮らしを始めると
大抵は戸惑うことが多いだろう


ひとのチカラは
環境によって造り出される

逆境を多く経験したひとには
それを乗り越えるだけのチカラが備わっている

逆に
順境に慣れきってしまうと
チカラが削がれていく


逆境は確かに辛いが
いざというときに自分を守ってくれる

順境は確かに楽しいが
状況が暗転するとたちまち崩れる


人生楽ありゃ苦もあるさ

人生は順境と逆境の振幅でできている


辛いときにはじっと耐えながら
明るい夜明けを待ちわびながら
順境で遊べるチカラを蓄えよう


楽しいときには
逆境で蓄えたチカラを存分に使って
気の済む限り遊びつくそう


幸福感が一番大きいのが
逆境から順境への転換点

幸福感が一番小さいのが
順境から逆境への転換点


さあ、皆さんはいま
長い長い道のどの辺を歩いているのだろう