蝉と禅
家の近くの神社は木々に覆われている
近くを歩いていると
木の幹には蝉がたくさんとまっている
ビルに囲まれた街のなかで
ここだけは昔と何ら変わっていないのだろう
そう思うと
蝉の音色を通じて
神秘的な時間を味わうことができる
1週間くらい前から
蝉たちの鳴き声が盛り上がってきた
ジージーと絶え間無く
その小さな体から目一杯
一心不乱に鳴き続ける
蝉たちの夏フェスも今が最高潮
ときどき
野良猫たちが聴きに集まってくる
ジージージージーと
一定の音階を刻むその鳴き声は
お経のようにも聞こえる
そういえば
蝉と禅の漢字は
とても似ているのだ
単純に似ているだけかもしれないが
繋がりがあるような気がする
両者には正反対の一面もある
禅は静の性質を持っている
ひたすらに坐り続け
心穏やかに真理を見つめる
一方で
蝉は動の性質を持っている
体中の力を使って
鳴きつづける
だが
蝉の一生は
生まれてからの数年間
土のなかでじっと出番を待っている
まるで
お堂のなかで坐り続けている
修行僧たちのように
やがて
表舞台に姿を現すが
そのとき
彼らに残された時間は
あまりにも少ないのだ
本能的にそれを悟った彼らは
最後に華を咲かせるため
精一杯鳴きつづけるのだ
法華経を唱えるように
お盆が明けると
今度はミンミン蝉も参戦してくる
物思いにふける秋が
足音がたてて近づいてくる