四万六千日

『観自在菩薩』

 

いわゆる観音様が

冒頭で登場する

 

これも因果なのだろうか

 

観音様を

最初のフレーズとして扱う今日は

 

東京で一番古くから

観音様で親しまれている浅草寺

年に一度の縁日に当たる

 

オレンジ色が鮮やかな

ほおずきを売るテントが並ぶ

 

ここにいると

不思議な雰囲気を感じる

 

縁日は

江戸情緒にあふれているのたが

 

歩いているのは江戸っ子ではなく

外人ばかりなのだ

 

飛び交う

中国語、韓国語、フィリピン語、タイ語、英語

 

彼らは知ってるのだろうか

 

今日お参りすると

一生分の御利益があるとされている

 

 

浅草界隈の寄席に行くと

四万六千日が話題に出るのだ

 

浅草演芸ホールの前を通ると

父が楽しげに

この話をしていたのを

思い出す

 

今年は趣がある参拝となった

 

昔の人々がやっていたであろう

本格的な参拝スタイル

 

般若心経を唱えてみた

 

普段に増して

ガヤガヤとしていたのだが

 

無心に経を唱えている時間

 

ココロの静寂が訪れた

 

 

どんなに時代が流れても

 

昔と変わらないお経の旋律を奏でると

 

昔と同じ空間が出現する

 

そんな体験ができた

 

決して

暑さでおかしくなったのではない

 

そのことは言い添えておきたい

 

 

観自在菩薩

 

すべてのモノを

自在に観ることができる菩薩

 

菩薩とは?

 

如来という

株式会社仏の社長兼CEOのもとで

 

取締役(経営者) 兼 執行役員(従業員のリーダー)

というポジションにいる

 

 

悟りを拓いた如来の教えを

 

従業員、つまり我々人間に伝え

 

人々が語りの境地に少しでも近づくため

 

人々を見守り

 

人々と共に修業を続けている

 

 

観音様から感じる

大いなる包容力が

 

時空を越え

 

代々の人々に救いを与え

 

今もなお

 

人々を見守っている

 

 

 今日の参拝で

 

四万六千日、百二十六年分の

御利益を授かったのだが

 

だからといって

一生安泰ではない

 

 

露店の人がお客さんを

こう言いながら見送っていた

 

来年もまた来てくださいね と

 

 

一体

何年分の御利益を集めるのか

 

 

一説には

昔は千日分だったとされる

 

 

時代や文化によって変わってしまう

現世における習わしは

 

観音様が過ごしてきた

悠久の歴史においては

 

無いモノに等しいのではないか