感性を磨く 

『般若』

 

智慧と訳す

 

智慧に込められた意味は

 

知識とか

知恵とか

 

同じように使われるコトバ

とは一線を画する

 

いまの世の中

 

知識などの情報は

手のひらの上で

指を動かせば

スマートな精たちが

瞬時に取り寄せてくれる

 

知識は

いくらあっても邪魔にはならないが

あるだけでは使いものにならない

 

知恵は

知識という素材を

頭の中のシャモジでかき混ぜ

頭の中の包丁で切り刻む

つまり

考える(シンク)することによって

創り出されていく

 

 

いまの世の中

 

知識に溢れている

 

簡単に手に入るからこそ

深く考える機会が少なくなった

 

高速化するやりとりのなかで

深く掘り下げるより

スピーディーに処理することが

優先される

 

すると

自分自身で考えて編み出す知恵を

得られなくなってきた

 

レトルトのように

温めればすぐに使えるような

パック詰めの知恵を使う

 

日常生活には便利だけど

生きていくための知恵になっていない

 

四苦八苦に満ちた

険しい人生を歩むために

 智慧を求めることになる

 

考えに考え

考えては実践し

実践してはまた考え

 

我々は

コトバにて語りうることを

語り尽くしたとき

 

コトバにて語り得ぬことを

知ることがあるだろう

 

つまり

 

智慧とは

簡単に手に入れられるモノではない

 

暗い夜道をさまよい

もがき続けているとき

 

彗星(ほうきぼし)のように

遥かかなたから

心に向かって飛んでくる

 

それを感じる瞬間

 

 智慧を身につけることになる

 

 

知識や知恵が混在し

霧のように行き先が霞んでいる

いまだからこそ

 

 智慧を得るために

感性を磨いていきたいものだ

 

 

シンク(考える)からフィール(感じる)へ

 

遥か昔から

 

人々は同じように

智慧を追い求め

 

同じように

夜空を見上げ

祈りを捧げていたのだろう