答えのない問い

社会の隅々には

たくさんの物体が存在する

 

万物は

 

何かのきっかけによって

ここに生まれ

もしくは、ここまで運ばれ

いま、ここに存在している

 

 

何故、ここに存在するのか

 

一体、何のために存在するのか

 

ぼ~と歩いていると

このような哲学的な疑問が湧いてくる

 

 

道に転がっている石たち

 

どこで生まれ、どうやって

ここにたどり着いたのだろうか

 

そして、何のために転がっているのだろうか

 

 

河原に生えている雑草たち

 

この種はどこから飛んできて

どれくらいの時間をかけて

発芽し、成長して来たのだろうか

 

そして、何のためにここで根を張っているのだろうか

 

 

学校で教わることには

一定の答えがあり

 

その答えを正確に導くことができる人が

優秀だと見なされ

 

なかなか導きだすことができない人を

さげすむ傾向が強い

 

小さいころに過ごした学校においては

 

与えられた課題を

いかに早く理解し

いかに多くの答えを出せるかが

日常的に競われている

 

 

受験戦争という言葉があるように

 

名門と言われる学校に入るため

熱心な親とその子供たちによる

競走が行われている

 

 

では、親たちに問いたい

 

何故、あなたは子供を良い学校に入れたいのですか

 

 

同時に、子供たちにも問いたい

 

学校に入ったら何をしたいのですか

 

 

読者の皆さまにも

それぞれの答えが浮かんでいらっしゃるだろう

 

 

では

学校に入り、卒業し、社会に出たとき

 

その時に問われた質問の答えと

現実が一致していただろうか

 

おそらくは

完全に一致することはない

 

なぜなら

人は経験から様々なことを学び

成長し続けていく過程で

目標や進路が変化していくからだ

 

なかには

変わらぬ夢を追い続け

実現する人もいるかもしれないが

ほんの一握り

 

才能と運に恵まれた場合だ

 

だいたいのケースは

現実を見据えたうえで

軌道修正していく

 

 

いま、新卒社会人の3人に1人は

3年以内に会社を辞める

 

転職を繰り返し

30歳すぎてから学校に通い直す

そんな人が増えている

 

何のために?

 

学校へ行って学問を学ぶというより

働くのに必要な資格をとるために

大金を出して通っている

 

働くことが手段ではなく

目的になってしまっている

 

我々はつい

何々をしなければならない

とか

こうあるべきだ

とか

勝手に答えを設定してしまう

 

それに縛られ

生き生きと生きることができなくなっている

 

しかし

人生には答えなどない

 

我々は何故、この世に生を受け

いまも生き続けているのか?

 

何のために産まれてきたのか?

 

この哲学的な問いには答えはない

 

答えがないからこそ

探求し続けられるのだ

 

悔いのない人生を